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GRASS WORKS/ガラスのワインクーラー物語り(麹谷宏の私的ワイン史8)

「ワイン好き」では人後に落ちないつもりでいるものの、ぼくのワインの愛し方はずいんぶんイレギュラーなスタイルだということは自認している。

まず、ワインと同じように、ボトルやエチケット、キャップシールなどという、ワインに係わるあらゆるデザインにも関心を持ち、批評の目を張りめぐらす。これは、ぼくがデザインの世界に40年も生きているから仕方のない習性だとも思うが、それにしても、ワインボトルやエチケットの提案をしてみたり、魅力的なキャップシールを集めてコラージュした展覧会を開いたり、またシャンパーニュのアクセサリーやコルクキャップでボタンを造ってみたりと、好奇心がワインの周辺部分にきりもなく広がっていくのだ。

また同じく、ワインが持つ歴史のエピソードや物語など、面白い話のコレクションにも余念がなく、それらを紡いでワインの楽しさを語り合うのがうれしくて、頼まれればどこにでも出向いてゆく、という具合。

そしてまた、ぼくにはワインそのものにもヒエラルキーがあって、シャンパーニュがいつも頂上に大きく君臨している。発泡酒にはフランチャコルタ、プロセッコ、カヴァ、ゼクトなどという銘酒もあるのにシャンパーニュだけを頑なに贔屓する。片や赤ワインとなると、どの国、どの地域のどのようなセパージュの赤でも大歓迎という超いいかげん。シャンパーニュと赤ワインは家でも仕事場でもすぐ手の届くところに常備していて、出張先にもその手配を欠かしたことはない。2、3日もシャンパーニュが飲めない状況が続くと機嫌が悪くなるし、これが1週間も続くと本当に体調がおかしくなる。無茶苦茶のシャンパーニュ偏向型なのである。

ガラスのワインクーラーがほしい

ぼくは今、ガラスの造形、それもワイン関連のガラスの制作に入れ揚げているのだが、これも元を糺せばシャンパーニュへの偏愛の賜ものなのである。

シャンパーニュは、ボトルの色も形もエチケットも、そしてその雰囲気もそれぞれに実に個性的で美しい。眺めていて飽きることがない。その魅力的な姿かたちを愛でながら飲むことができれば、そのシャンパーニュの味はまた一段とおいしく感じる。ところが残念なことに、シャンパーニュはあのように美しく生まれながらも、冷やして飲むという宿命を背負っているために、食卓では氷水を張ったワインクーラーの中に隔離されてしまって、美味と共にその美形も一緒に楽しむことはできないのだ。これではあまりにももったいない。哀れすぎる。それにはガラスがいい。透明のガラスのソワ・シャンパーニュだ。家庭の食卓で気楽に使える安心感のある、ごつい造形美を持ったガラスのワインクーラーが必要だと思っていた。

考えてみればもう20年も前のことなのだが、だからそのころ、海外に出かけるたびに探して歩いた。ヨーロッパはワインの故郷だし、それにメディテラニアン、ベネチアン、ボヘミアン、スカンジナビアンとガラス王国でもあるからだ。ところが、ガラスのクーラーというとなぜか繊細優美なものばかり。ちょっとボトルを当てると割れそうでコワくて使う気にならない。ゴツくて美しいクーラーがみつからないのだ。

「そんなにほしいのなら自分で造ってみたら。面倒みますよ」───こういってくれたのは、偶然に出会った湯島の木村硝子店の当主、木村武史さんだった。この人に出会わなかったら、たぶん今日の「麹谷宏のソワ・シャンパーニュ」はなかったと思うほどの恩人との邂逅。かくて、ごつくて、気楽で、造形美も持つ、ぼくの理想のワインクーラーに思わぬ方向から光明が差したのだった。
キリストはグラスでワインを飲んだか ワインといえばボトルとグラスは付きものだから、今日ではガラスという素材のイメージはワインと切っても切れないものになっている。そしてまた、ワインにガラスはよく似合う。そのガラスの歴史は古く、誕生は紀元前3千年とも4千年ともいわれ、貴重な扱いを受けながらも実用の素材として珍重されていたようだ。泰西名画に数多い「キリストの最後の晩餐」の場面にはよくガラスのグラスが画き込まれていて、紀元前の時代にこんなにモダンなデザインのグラスが本当にあったのだろうかと首をかしげることもあるが、しかしこの時代にはもう、ガラスのグラスが存在したことは間違いのないことらしい。それなら、デキャンターもという発想はなかったのだろうか。

わが国にワインが届いたのは15世紀になってからのことだが、グラスはというとその到来は早く、この国がようやく「日本」という国号を持ったころの奈良時代にはもう届いていた。奈良の正倉院の宝物になっている聖武天皇の愛用品だったというワイングラスは、実に立派なガラス工芸品である。聖武天皇はこのグラスで何をお飲みになっていたのだろうか。

さて、思わぬ展開から、念願のソワ・シャンパーニュを自作することになって、ぼくが再認識したコンセプトは、「美しいファジーなシェイプを持ったごつくて安心感のあるガラスの器」。スタイルは持つが定型はない。宙吹きという技法で、ひとつひとつ手造りする。坩堝の高温の中でドロドロに煮えている原料を、長い鉄の竿の先に少しずつ巻きつけてくり返し取り出しながら、息を吹き入れて徐々に大きくしてゆく。その途中で形に方向を与え、ボディができたら反対から別の竿に付けかえ、最後に最も重要な口を造り、ここに別取りのタネを巻きつけるのだが、この間、ガラスを高温に保つために頻繁に焼窯に出し入れをくり返す、というように複雑な作業が続く。ガラスの温度が下ると固くなって思うように造形できなくなるからだ。

このぼくのソワ・シャンパーニュのファジーな造形のイメージはぼくの頭の中にしかないのに、ぼくにはガラスを扱う技術がない。ベテラン職人の手を借りることになったが、ぼくのデザインに他人の意識が入ることは、心配よりも新鮮な驚きや発見にもつながって楽しかった。しかし、展覧会のためにガラスの処女作30点を完成させるのには約1年かかった。

超豪華だったデヴュー展のパーティー

今ここに15年前の、懐かしい案内状がある。こういうわけで実現したガラスのソワ・シャンパーニュのデヴュー展を、1992年7月に六本木のギャラリーで開いた時のもの。「麹谷宏の酒と薔薇の日々」と名付け、開催中の5日間は毎日プレステージシャンパーニュのパーティーを開いた。インポーターからお祝いに戴いたBollinger:R・D、Krug:Grand Cuvee、Lanson: Noble Cuvee、Louis Roederer: Cristal、Moet et Chandon:DomPerignon、Perrier-Jouet:BelleEpoque、Pommery:Louise Pommeryという超豪華版。そのうえ光栄なことに、ぼくが顧問ADを引き受けているのでお礼にとクラブ・デ・トラントのメンバーから毎日料理が届き、親しい遊び仲間の田崎真也、木村克己、右田圭司という当時売り出し中のソムリエトリオが交代でサーヴィスの友情出演してくれたのだった。

幸いぼくのソワ・シャンパーニュは好評で、驚いたことに展覧会場に並んだ30点の作品は初日に完売となった。そしてマスコミにも取り上げられたが、これはたぶんにシャンパーニュとクラブ・デ・トラントの料理とソムリエパワーのおかげだったと今でも感謝している。

以来、ぼくはずっと、ソワ・シャンパーニュを造り続けている。制作の現場は、マエストロたちとの出会いによって東京、横浜、沖縄と工房を転々とし、海外にも飛び出して、10年前からヴェネチアンガラスの核心であり世界のガラスのメッカともなっている、イタリアはヴェニスのムラノ島の工房でも制作している。ガラスには素人のぼくが、ムラノ島のような超弩級の本舞台の工房に通うことができるのは、幸運な偶然の女神の微笑みがあったからなのだが、この話は次号に。






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